記事内に広告が含まれています。

ルッキズム配慮の落とし穴? “ぽっちゃりモデル”が私の物欲を消していく

正義に配慮した広告は、財布にやさしい?

最近、通販サイトやブランドのSNS広告を見ていると、

やたらと“ぽっちゃり体型”のモデルさんが増えたなと感じる。

それ自体は、きっと「ルッキズムは悪」という社会的風潮を受けたものだ。

多様性に配慮した、時代の流れに沿ったマーケティング。企業の努力もわかる。

でも…私はこう思ってしまった。

「その服、もういらないかも。」

「配慮」は理解する。でも、欲しくなくなる。

体型にかかわらず、誰もがオシャレを楽しめる世界は理想だし、

そうあるべきだとも思う。だから、ぽっちゃりモデルさんの存在を否定したいわけじゃない。

ただ、現実として——

広告は“夢を売る”ものであるはずなのに、なぜか現実を突きつけられる。

この服を買っても、私はああなるだけだよ?

そう冷静に言われた気がして、購買意欲がスンッと消える。

広告が「自己投影」のツボを外している

広告が効くのは、「自分がそのアイテムを着たらこうなるかも」という幻想があるから。

でも、理想とズレたモデルに自分を重ねられないと、その幻想が成立しない。

もちろん、ぽっちゃりモデルを使うことで刺さる層もいる。

でも私は違った。それだけの話だ。

そしてそれは、「ルッキズム批判=すべての人の購買欲を高める」とは限らない

という、広告業界にとって耳の痛い事実かもしれない。

“正しさ”と“売上”の板挟み

ファッション業界は今、「正しいこと」と「売れること」の狭間にいる。

多様性への配慮を打ち出せば、ある層には響く。けれど別の層には現実を見せすぎてしまう。

広告って、ちょっと非現実的なくらいがちょうどいい。

「私もこうなりたい」と思わせる虚構が、人を動かす。

だから私は、理想体型のモデルが着ていた服ならうっかり買っていたと思う。

でもぽっちゃりモデルが現実を突きつけてくれたおかげで、

「あ、買っても夢は見れないや」と気づけた。ありがとう、そして助かった。

理想じゃない広告は、財布にやさしい

正しさを追求した広告が、かえって購買意欲を下げている。

これってある意味、ルッキズムへの配慮が節約を促す逆広告効果ってことじゃない?

もちろん、広告やモデルの選び方に“正解”はない。

でも「それ見て欲しくなるかどうか」は、冷酷なまでに数字で出る。

というわけで私は、今日もまたぽっちゃりモデルさんを見て、

服を買わずに済んでいる。ありがとう、理想じゃないあなた。

おかげで、うちの資産グラフは右肩上がりです。

タイトルとURLをコピーしました