会社に40代の女性がいる。彼女は20歳の息子がいる。彼女はしばしば家族の話をするが、息子の登場回数が多い。
しかもその息子に「ママ」と呼ばせているというのだ。
気持ち悪い。
この気持ち悪さの原因は2つある。
1つは私自身が親から早く自立し、逆に親をサポートするように教育されてきたからだ。この話をすると、毒親だと言われてもいたしかねないし、実際に毒親である。そうであるので、私は親に対して反抗的だ。20歳の頃は大学に通っていて実家に帰ることも年に数回であったし、帰りたいとも思わなかった。それより、年末年始などのイベントを友人や恋人と過ごすことを選んできた。もちろん、親のことをパパママと呼ぶこともない。親と過ごすことをダサいと思っていたし、身の回りで起こったあらゆることを親に相談するなど、親に依存する友人を見て違和感を持っていた。
2つめは精神的幼さを感じるからだ。20歳というと、ある程度のことは自分でできるはずであって、無限の可能性を秘めているのに、あえて親にべったりするのはなぜなのか。親に依存しなくても、若いから何か行動して失敗してもやり直しがきく。親にべったりしている時点で何かやってみようという意思があるのか疑問に思う。実際、同僚曰く「私がご飯を用意しないと、子供は何も食べないから」などと言う。親に依存しすぎて自分の生命維持に対してそこまで消極的なのはいかがなものか。またそれをよしとしている同僚も含めて、内心「キモッ!」と思っている。その世間一般からみた気持ち悪さを想定せず、そのエピソードを話す同僚に対して引く気持ちもある。私だったら、それで「かわいい」とはならず「生命維持くらい自分でやったらどうだ」と思う。
なぜこんな若者が増えたか。
私はかつて教育現場で働いていたことがある。高校で働いたこともある。高校生というと、子供と大人の狭間だけれど、ほぼ大人。しかし、その親が「子供の弁当に箸を入れ忘れたから届けてください」「子供が体操服を忘れたから届けてください」「子供が宿題を忘れたから届けてください」などと言ってくることがあった。小学生なら分かるが、それは子供と親の間でだけ解決すべきことであって、あえて学校の職員を介するものだろうか。子供もだが、親の知的レベルの低さ、ひいては空気の読めなさを感じた。
ほかにも、晩婚化によって親の年齢が上がっており、やっとできた子供を可愛がりがち、または、ある程度お金を持った状態の親が子供の欲しいものをなんでも買い与えがちで、子供たちが驚くほど分不相応に高価なものを持っていることがあった。だから我慢することを知らない。親と一緒に買い物に行けば親がなんでも買ってくれる。友達といると、当たり前だが友達のキャラに合わせないといけないからストレスがたまる。だからなんでも希望を叶えてくれる親といた方が楽だ。
教育現場も、「物言う親」に萎縮して子供達になにも強く言えない。激甘人間育成所になっている。
こんな感じが続くと日本は総指示待ち人間社会になる。自分は悪くない、〇〇が悪い。などと言う。誰も何も決められない。誰かがやるだろう。新しいことには挑戦しない。競争力がなくなり、世界から置いてけぼり。日本は衰退の一途を辿るのである。親が子供に自立を促し、社会性を身につけさせるのもまた愛情ではないだろうか。