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淘汰されゆく田舎 競争のない社会の行く末

私は地方公務員、BIG4を経て今は田舎の中小企業で人事の仕事をしている。

私は田舎出身であるが直接的で短い表現を好むので、間延びした表現をする人や優柔不断な人と合わない。

田舎にいて思うことは協調性を重視しすぎるあまり、主体性がない人が多い。議論しようとしても意見がない。何も決めないまま時間が過ぎ、何かを決めた人に対して、批判だけを一丁前にのたまう。これが今の私が会社に行くことのつらさの一つになっている。

議論がないことは寂しいことだ。

だが、知的レベルが同等でない人が議論に入ってくると、論点をずらすのでそれはそれできつい。

会社の同僚を見ていて思うことは、終身雇用で年功序列の古い体質の会社で、名ばかり管理職も多く、人材がまともに育っておらず、社員が発信する気づきがない。気づきがないということは主体的に行動していないということ。創意工夫に欠けるということ。

生ぬるい田舎では競争はほとんどなく、田舎にいて必ずしもいいサービスが受けられるということはない。質の悪いものが淘汰されないからだ。

誰がこんな田舎にしたか。

年功序列の制度だ。

年齢イコール人生のレベルではないのに、歳を取れば偉くなると勘違いする人が多数いて、そんな人たちが若い人の可能性を奪う。

今日も若者は競争があって魅力的な都会へ行く。

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