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誰もお前に興味ない

一度しか会わないと分かっている人に自分の深い話をするだろうか。

私はしない。

自分のことを話したところで相手は明日には忘れているだろうし、自分のことや状況を分かってもらいたいなど思わない。

高校生の時に出会ったアメリカ人ALT

高校生の時、アメリカ人のALTの先生が毎回授業の冒頭に「How are you?」と言った。

なぜか間があり、I’m goodなど毎回決まった答えをする。アメリカ人のALTはこの間に疑問を持っていた。

だれもあなたに興味ないので、考えずに適当な答えでテンポよく話せばいいんだよ。と言った。

確かにそうだと思った。本当に興味を持って調子はどうか?と聞くのは病人ぐらいだ。

誰もお前に興味ない。

話が長い同僚

会社の同僚で自分のことについて長々と話す人がいる。とても幼稚に感じる。

正直、同僚のパーソナルな話など全く興味がない。聞き手はそんなふうに感じているのにそんなに長々と話してエネルギーの無駄ではないか?

同僚のパーソナルな話を聞いても明日には忘れている。同僚は自分が話したことを聞き手が覚えているという前提でいる時があり、とても自己中心に感じる。

フィラートーク(惰性的会話)は合理的コミュニケーション

ただ、そうなると「誰も興味ないなら、自分の話は一切しない方がいいのか?」という疑問が生まれる。

たしかに、まったく話さなければ、相手は自分のことを何も知らないままだ。でも、だからといって長々と話しても、結局誰も覚えていない。

となると、必要最低限のことをテンポよく話すのが最適解なのかもしれない。

誰もお前に興味ない。でも、テンポよく話せば、それなりに場は持つ。

そう考えると、アメリカ式の「適当にテンポよく」は、単なる雑なコミュニケーションではなく、むしろ合理的なのかもしれない。

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