こんにちは。りんごです。
普段はバカばかりの会社でOLやってます。
今日はとろい人について考察したい。
とろい人の定義
とろい人というのは、言い換えると
「どんくさい」「間が合わない」「勘が鈍い」
例えばこの人と私とでは時間の流れる速さが違うので
動作や頭の回転の速さが違う。
そのため、コミュニケーションに不自由が生じる。
会話が面白くない
とろい人は何に対しても鈍感であるので、鋭い角度からの気づきがなく
観察力も鈍い、気が利かないので会話が面白くない。
こちらが、聞き手がツッコミを入れてくれるだろうという体で話したことも
スルーしてしまうので本当にコミュニケーションがうまくいかない。
動作が遅い
動作が遅いというのは、物事への取り掛かりの早さだとかそういうことだ。
見通しが悪い→取り掛かりが遅い→さらに仕事ができない
悪循環である。
そしてこのポンコツのしりぬぐいをするのは仕事がはやい人になる。
そしてこの仕事がはやい人、めちゃくちゃ損する。
仕事がはやい→たくさん仕事を振られる→一つの仕事に対する単価が低い→モチベーションダウン
動作が遅い人は時間をかけて一つの仕事をするので一つの仕事に対する単価は高くなる。
気づかないというのは幸せなのかもしれない
私は幼いころからいろいろと察してしまったり、気づいてしまったりするので
必要以上に空気を読んだりしてしまう癖がある。
気づけることは改善できるということなので、利点でもあるが
いろんなことに気づいてしまってしんどいときも多々ある。
気づかなければ、このしんどさはないのだ。
そう思うと、鈍感な人って幸せなのかもしれない。
資本主義社会において鈍感とはどういうことか
資本主義社会で競争によってあらゆるものの質が日々向上していく世の中において
鈍感でありつづけるのはいかがなものか。
鈍感である=気づきを得ない=進歩しない、あるいは改善しない
そのため、資本主義社会において鈍感な人は淘汰されていくものだと思っている。
人手不足の世の中、気が利かない人でも採用しなければならないが、
気が利かない人ばかりの会社、つまりバカばかりの会社は沈む船なのだ。
また、若者の流出だとか、労働人口の減少だとか言いはするものの
それに有効な対策をしない自治体も沈む船であることは明確だ。
沈む船の船員たちとの飲み会
こんな馬鹿ばかりの会社でも飲み会はあるけど、こんな感じで話が面白くないので
無給で参加したくないに決まっている。それはただのボランティアだ。
いや、ボランティアよりも価値のない時間を過ごすことになる。
沈む船の船員たちとの飲み会に参加させるなら時給をよこせ!