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「脳ガキ」と呼ばれた私

毒親という言葉は世の中にすっかり定着した。

私の親も紛れもなく毒親だった。

毒親という評価は子ども自身がするものであって他人が「あの子の親は毒親」と言うものではないという話をよく聞く。

だがそれは、どこか親に愛着がある人が言うことで、他人から自分の親を低く評価されたくないという防衛本能的なものがある。

しかし私の場合は他人から毒親と言われてもいいと思っている。

私の場合の毒親エピソードを紹介する。

私の両親はどちらも中卒で、勉強を楽しむことを知らない悲しい大人だった。だから勉強が好きでよく机に向かう私を馬鹿にした。

脳ガキと言った。

本来、「のうがき」というのは漢字をあてると「能書き」で、薬などの効能を書いたものという意味だ。

だが中卒で学のない親は音だけを聞いて自分の中で「脳ガキ」と漢字をあてたようだ。

ほかにも、「そんなに勉強してどうする」「学者にでもなるのか」と親戚の前で馬鹿にした。

私が女だからそういうふうに言ったということもあるのかもしれない。女だから勉強しなくても嫁げばパートで働くということしか知らない悲しい思考の持ち主だったからだ。

実家は人里離れた山にあり、交通機関も1日2本しかなく、車がないとどこにも行けなかった。未成年の私はもちろん親に頼まないとどこにも行けなかった。部活が終わり、公衆電話で「部活が終わったよ」と連絡した。だが待てど暮らせど迎えに来なかった。歩いていれば途中で会うだろうと思い、家の方向に歩いたが、途中で会うこともなく到着してしまった。親は家にいた。なぜ迎えにこなかったか。それは「迎えにきて」とまでは言われてないからとのことだった。終わったよといえば迎えにきてという意味だから車をだしたくないならこんなところに家を建てるなと言った。すると、「アンタは親を利用しないと損だと思っている」などと的外れかつ理不尽なことを言われた。

私は読書が好きだった。人の書いた文章を読んでこんな表現もあるのだと発見するのが面白かった。

小学生のころ、図書館に連れて行ってと親に頼んだ。親は「そんなに本を読んでどうするの。文学少女?」と言った。

この表現もまた、私は馬鹿にされたような気分になった。それから本を読むのが恥ずかしくなり、図書館から足が遠のいた。

親は私が幸せになるのを認めなかった。友達を家に呼ぶと、あいさつがないなどと友達の悪いところを言い、恋人を紹介すると声が小さいなど、私の大切な人になにかとケチをつけないと気が済まないようだった。誰かにケチをつけるほど、親は完璧な人間なのかと言われると、とてもそうは思えなかった。

だから私は大切な人を親に紹介しなくなった。

そのくせ、私がわりと優秀な学校に進学したり、いいところに就職すると、近所の人や親戚にあたかも自分の功績であるかのようにマウントをとっていたようだ。おそらく彼らからも嫌われていると思う。

子供は親の分身ではなく、親の操り人形でもない。大人になった今は親から物理的にも精神的にも距離をとり、好きなことをして健康的に過ごせているが、時々まともな親の元に生まれていたらもう少し生きやすかったのかもしれないと思うこともある。

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