何か不快なことをされて、それを指摘するとよく返ってくる言葉がある。「悪気はなかった」
悪気がないという無自覚は救いようがない状況と言える。同じことを繰り返す可能性も高いし、それによって周囲との関係も悪くなりがちだ。
悪いということを自覚してないヤバさ
自覚がある方がまだマシだ。悪いことを悪いという感覚を持っていれば改善はたやすいからだ。罪悪感に訴えかけることもできる。
一方で自覚(悪気)がないということは、悪いことを悪いと思っていないので、悪いという感覚を身につけるところから始まる。一般的な「悪い」の感覚からズレている。すなわち悪気がある人とスタート地点が違う。
悪気がない人は相手にとってどうか、世間的に見てどうかを考えることができない成熟していない人間だ。
悪気がないということは誠意もないということ
会社の同僚で、期日を守らなければ、メールも返信しない人がいる。また、毎日のように勤務中に無断で外出して私用をこなす人もいる。彼らは決まって言う。「悪気はなかった」。
社会人であるならば基本的に期日を守る、守れないなら連絡する、メールも返信する。勤務時間中に無断で外出しない。
悪気がないということは誠意もないということ。
基本的な決まりも守れない人が社会で信用が得られる日は来ない。
謝罪を受けても許せないこともある
相手には悪気がなく自分にとって不快なことをされたとして、謝罪を受けたとしよう。
最初は許すかもしれないが、同じことを何度も繰り返すと、次第に許す気持ちもなくなるだろう。
許したくないが謝罪を受けた時、私はこう言う。
「悪気がなかったとしても、その行為が悪いという事実は変わりません」
悪気はなかった。これは免罪符にならず、繰り返すと信用を失っていくだけである。