親より賢く生まれることは苦痛の根源だろうか。
私の両親は中卒で、姉もいるが家族で私以外の3人は勉強が苦手で馬鹿だった。
私は机に向かい、新しい知識を得ることに喜びを覚えていたが、しばしばそれを親に揶揄された。
こういうことで、親より賢く生まれることは苦痛の根源であると感じる。
私は子どもの頃から親よりも合理的な判断や新しい考えが浮かんだ。親は私より長く生きているはずなのに、なぜこんなことも分からないのかと思うことが多かった。
親は「子どもの言うことだから」と意見を受け付けず、自分のことを正しいと思っていたりもする。
例えば歌舞伎俳優の家に嫁ぐ人を「梨園(りえん)の妻」などと言うが、父はこれを「なしえん」と読むし、電車や高速道路などの「上り下り(のぼりくだり)」のことを「うえりしたり」と読んだ。いくら指摘しても自分が正しいと信じて疑わない。
私は心底馬鹿にしていた。
自分の言いたいことを親から言葉通りに理解を得ることが難しく、親に対して自分のことを分かってもらおうと思うこともなくなった。
また、親がわたしを知能的に優れていると感じると将来親の面倒を見るために地元に留まれなどと言うこともあった。
親との関係は他の人間関係と違い、バッサリとは断ちづらい面もあり、人生に影響を与え続ける。私の父の場合、「お前たちに残す遺産はない」などと言いながら死んでいった。最期までダサいヒトだった。私はこうはならない。